【若かりし頃、体育の教師を目指したことで得られたスキル】

食育革命コンサルタントの小寺美江です(^^)

本日は、私の過去のことを少し振り返り、今の仕事にどう生かされているかを書いてみようと思います。

若かりし頃、私は「高校で、テニス部のコーチをやりたい」と思い、体育の教師を目指していました。最終的に、「教員は向いていないなぁ」と若い歳なりの判断で、その道はやめたのですが、その目標へ向かって頑張った時期に得られたスキルが今となっては相当な強みになっています。「具体的な知識」は忘れましたが、「通して学んだ体験、体感」は自分の糧になっています。

過去を振り返るのではなく、
前を見て力強く歩む主義になったのは、
ここ最近のこと。
いつもいつも後悔していました。
チャンスは一瞬。後悔は一生。この言葉の重みを
勝負の世界に長く身を置いたことで、痛いほど体験体感した私です。

もう過去すぎる過去ですが、私がテニスで優勝したい(当時の目標は地区大会優勝)と思った時、恩師が私に言ったのは・・・
誰よりも練習する事。基礎錬・走り込み・練習試合
どれも誰よりも、積極的にこなす事でした。

でも、恩師のすごかった面は、それだけではなく、「練習プログラム」の精度がその後の試合の結果に直結する。このことを中学生の私に細かく指導してくれていたのです。ガムシャラに泳ぐことに疑問を感じ、テニスに転向した後の、14歳の時に教わった事でした。

当時私は、不器用で長距離走が早いだけの、使い物にならない選手。
ここからどうやって育てていただいたのか・・・疑問すぎます。爆。

ちなみに、恩師を間違って「お父さん」と呼んでしまったくらい、手厚く、2年間だけでしたが、育てていただきました。(中学生だったので、恥ずかしすぎてすぐに思出せる甘酸っぱい思い出)
失敗の方が多く、たくさん負けて流した悔し涙は、だれよりも多いと思います。恩師の勧めあって、高校時代に硬式テニスに転向してからは、益々勝負の世界が厳しくなり、コートの上で1人で戦う事の「素晴らしさ」と「自制心」と「勝負師としての在り方」「学業との両立」を17歳なりに苦悩しました。

そんな昔の事はここ最近はすっかり忘れていたのですが!

自分がクライアントさん達に何かを習得していただく
というプログラムを実施するようになった今、今こそ、その時を思い出すべし、と天からのお告げのように感じるがありまして、

ここ数日はうん十年前にタイムスリップして、
その時の恩師と私と会話してきました。(妄想)

「習得する」とは、単に、1から順番に知識と理論を伝える事だけでは難しくと思っています。たとえ、栄養の知識をくまなく知っていたとしても、それを反映した「日々の食生活」を「無理なく、継続的に」となるとどうでしょう?

毎日のことですから、「楽しい」「らく」という要素は
優先度が高いです。私にとってはNo1~No2です。ここはスポーツのトレーニングとは全く異なる部分です。

そして、どのくらい現実的な具体的な一歩に落とし込まれているか?を意識する必要がありますし、複数の要素が絡み合って「できるようになる」のです。

昔、テニスで強くなるには・・・と考えた時、「決まった所から来るボールを、決まった部分に打ち返す」という基礎錬は大切でした。
でもそれだけでは「試合」という場では「楽しむ」ことさえできません。ましては勝負という緊張感のある場になると「勝利する」という結果を手にすることはできません。
相手は、どんなところにどんな球を打ってくるか、分からないのですから・・・だから「試合という実践」を繰り返し積み重ねるのです。

身近な食材で365日、無理なく継続的に栄養バランスのよい献立で、
料理を作れるようになりたい場合、「部分的な基礎錬」と「実践練習」の両方を「見守り、サポートがあり、よりよくするための現実的なアドバイスがある」という環境で「トライ&エラーで練習してみる」という「食育革命の3ヶ月」があれば、あなたはきっと「献立をさらっと立てて、颯爽と自分の時間を楽しむ」という理想像を手に入れることができるでしょう。

3ヶ月実践コース受講生が、こちらの様に感想(お手紙)をくださりました。
彼女の想い、向き合ってやってみた”楽しい努力””適切な努力”をご覧になってみてください。私は感動しました(*^_^*)

スポーツで得た「体得するためのプログラム」を「料理・献立スキル格上げプログラム」にそのまま生かし、
料理という日々の事だからこそ「身近な食材で、無理なく」というラクさを軸としているのが「食育革命メソッド」です。

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食育革命コンサルタント
小寺美江
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